名作アニメ「火垂るの墓」は日本のみならず海外でも評価の高い作品として知られています。
今回は世界中が涙した作品「火垂るの墓」に登場する「親戚のおばさん」が主役です。
清太と節子に辛くあたる描写がありもの凄くイメージが悪い人物、また二人を死に追いやった人物…
だがしかし!果たして本当に彼女は悪かったのか!?「親戚のおばさん」名もない人物ではあるが
彼女の発言が実は正論だった!?彼女が発した冷酷な言葉には裏があるのか!?を検証!
そして彼女の家族構成や彼女のその後、高畑勲監督の予言!?などを紹介していきます。
名も無き「親戚のおばさん」知られざる真実に迫ります!
火垂るの墓。 原作 野坂昭如(新潮文庫版) 脚本・監督 高畑 勲 音楽 間宮芳生 声の出演 辰巳 …
火垂るの墓
火垂るの墓の作品概要について「火垂るの墓」は1988年に公開された高畑勲監督による作品です。原作は野坂昭如さんで「アメリカひじき」と同時期に直木賞を受賞。
キャッチコピーは糸井重里による「14歳と4歳で生きようと思った」です。当時、宮崎駿監督による映画「となりのトトロ」と同時上映されました。
「火垂るの墓」は原作「野坂昭如」さんによる作品です。
「アメリカひじき」と同時期に直木賞を受賞した作品でもある。
「火垂るの墓」は原作「野坂昭如」さんによる作品です。
「アメリカひじき」と同時期に直木賞を受賞した作品でもある。
1988年に高畑勲監督によりアニメ映画化された作品です。
キャッチコピーは糸井重里による「14歳と4歳で生きようと思った」です。
当時、宮崎駿監督による映画「となりのトトロ」と同時上映されました。
主な受賞歴は日本カトリック映画大賞・ブルーリボン特別賞・文化庁優秀映画・
国際児童青少年映画センター賞・シカゴ国際児童映画祭・最優秀アニメーション映画賞を受賞・
第1回モスクワ児童青少年国際映画祭にてグランプリを受賞。
戦後50周年特別公演として1995年に舞台化されています。
2005年に終戦60年スペシャルドラマ「火垂るの墓―ほたるのはか―」がテレビドラマ化され2008年に実写映画化されています。
名作アニメ「となりのトトロ」に登場する「さつき」そして「火垂るの墓」に登場する「節子」この二人、実は同級生つまり同い年だったとされています。 「さつき」は元気いっぱい小学校に通いお弁当まで作っている。一方、「節[…]
実は正論だった!?「意地悪おばさん」
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する親戚のおばさん
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する親戚のおばさんの家族構成について紹介していきます。
娘
親戚のおばさんの娘で女学生です。
三つ編みで清楚な少女で節子に下駄をプレゼントする優しさを持つ。
雑炊が二人よりも多く盛られポッとする思春期真っ只中。と同時に
ばつが悪く居心地の悪そうな素振りを見せていた。
下宿人
黒縁眼鏡の名も無き真面目そうな青年。
叔母さんに冷遇される清太と節子を見て
気の毒な素振り見せる。しかし、二人を擁護まではしなかった。
叔母のセリフでは勤労奉仕に熱心に参加している模様。
原作の叔母さんは清太と節子の「父の従弟の嫁の実家」という「遠い親戚」にあたる直接の血縁者ではなくかなり遠い親戚という関係です。
お互いの家が空襲で焼けたら身を寄せ合う約束をしていたとされている。また「小母さん」と表記されており「未亡人」と言及されることが多い。
因みにアニメ版での詳細な続柄は言及されておらず不明です。
「さらに近い縁戚」は神戸にいたものの、空襲が続き連絡が取れない状態であった。アニメ版より気性は荒く二人に対し厳しい言葉を浴びせる。
原作での家族構成は娘と、商船学校に在校中である息子と、神戸税関に勤めている下宿人がいます。
清太と節子に対し厳しい言葉を浴びせるおばさん…
彼女は何故こんな厳しい言葉を浴びせるようになったのか?
何か理由があるのかもしれない…
彼女の発言から深掘りしてみようと思います。
お母さんの着物なあ。いうては悪いがもう用もないんやし、お米に換えたらどう?
意地悪おばさんは二人の母親の形見でもある着物をお米に換える事を提案している。この提案は至極全うであると思う。
お金よりもお米が貴重な時代背景もあり…致し方ない気がします。
ええ加減にしとき!うちにおるもんは昼かて雑炊や。お国のために働いてる人らと一日中ブラブラしとるあんたらと何でおんなじや思うの
おばさんの娘におにぎりを作っているのを見た節子が雑炊嫌やと漏らすそこで清太が昼はおにぎりやから我慢しいと宥めた後の発言です。
戦時下で学校が焼失し、する事がない清太は節子と家でゴロゴロヒモ状態であった。働いてる娘と下宿人と比べられ同じは…ちょっとおかしいのでは?
ただ節子に関しては…不憫である。そして清太も14歳未成年者であることも考慮しなければならないのだが…
特攻隊の最年少は14歳…鉄血勤皇隊しかり戦時中はそんな甘い時代ではなかっのだろう…。
清太さんな!あんたもう大きいねんから助け合いいうこと考えてくれな…あんたらはお米ちっとも出さんとそれで御飯食べたいいうてもそらいけませんよ!通りません!
ここで全く働かない清太におばさんの不満が爆発する。そしておばさんは助け合いという協調性を説いています。
それも含めお米を出さずニートの貴様が何故白飯にありつけると思っているのか?と激怒しているのでしょう…ただ!節子が…不憫でしょうがない…
ちょっと続けてご飯食べさせたったら、まあ 口が肥えてしまいよってからに!
いやいや…清太さん…ってかあんたらも白飯食わしてもろとるがな!居候で白飯は凄いことでは?
未成年者で食べ盛り口も肥えて当然ではないか?しかしながら、一日の行動を見ていると…怒るわな…。
なんや?それならおばさんがズルいことしてるいうの?えらいこというなぁ。みなしご二人預かって、そう言われたら世話ないわ
これは節子が、せやかてあれうちのお米やと漏らした後の台詞です。どうでしょうか?おばさんの発言…
自分の子供にすら満足に食事を与えられない時代に二人も預かってるのに…しかしながら、お米にありつけたのは清太と節子のおかげでもある。
よろし!うちとあんたらご飯別々にしましょ。それやったら文句ないでしょ
結局おばさんは怒ってご飯別々にしましょと別にしてしまうのです。おそらく彼女は本気ではなかったような気がします。
二人がというか清太が働くきっかけになれば…と思ったのかもしれません。
ほんまに、えらい疫病神が舞い込んで来たもんや。
オルガンを二人で弾いていた後の叔母さんの台詞。これは本音が出たのではないか?敵国の文化がタブーとされた時代に
堂々と昼間からまぁまぁの音量で弾く。近所に聞こえ下手すれば憲兵が来るかもしれないし非国民扱いを受けるかもしれない…。
ブチ切れて出た言葉なのかもしれない。しかしながら、疫病神は言い過ぎ…かな。そして…節子は悪くない…。
空襲いうたって何の役にも立たんし。そんなに命惜しいねんやったら、横穴に住んどったらええのに
これはもはや暴言…こんな嫌味というかド直球に言われると返す言葉ない。でもおばさん…相手は未成年者です。
でも…当時の未成年者っていうても軍国少年が大半を占めてるはず…。そして…やっぱり節子は悪くない!
勝手なことばっかりして、ほんまにあの子らには、可愛げゆうもんがないんやから
これはご飯別々にした後の発言。清太は自炊をはじめ好きな時間に食べるようになり食べた後もすぐ横になるなど
非常に行儀がよくなかった…。しかも食器はおばさんが洗っている。清太は?…寝てます…いや…寝てしまったのかな…?
ごめんなさいの一言もなくて七輪から何から買うてきてから…まるであてつけや
やはりこの「ごめんなさい」という謝罪の一言を待っていたように感じる。謝罪の言葉があれば許す気はあったように思われます。
ところが清太は自炊のための道具一式買ってきている…。おばさんにしてみればあてつけのように見えてもおかしくないと思う。
よそて…どこ行くの?ほな、まぁ気いつけてなぁ。節っちゃん、さいなら
家を出て行く二人に対しての言葉。幼い子供がこれからどうするつもりなのだ?ただ驚き呆然と出た言葉のように思う。
そして、家を出て行く節子にさいならといった直後、驚きから心配に変わる。まさか出て行くとまでは想定外だったのかもしれない。
名作アニメ「火垂るの墓」は戦争をリアルに描いた作品です。幼い兄妹が蛍のように儚く散った悲しい物語なのですが、以前から気になっていた事があります。それは清太と節子の父親の存在です。清太と節子の父親は劇中[…]
叔母さんのその後
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する親戚のおばさんは清太と節子に対して厳しい言葉で追い出したようなもの。
アニメ版で節っちゃんさいならと言った後、心配そうな顔を一瞬しているようにみえます。
そんなおばさんがその後がどうなったのか?きになるとこですが…
実は、実写の映画版「火垂るの墓」でおばさんのその後が描かれています。
二人を追い出す形になった事に罪悪感からなのか、おばさんは清太と節子を探しに行っています。
その後、清太が持っていたドロップの空き缶を見つけたおばさんは既に二人が亡くなった事を悟り
清太と節子を忘れないためにまた自戒の念を忘れずに一生を過ごした。
原作でも描かれていないおばさんのその後、そうであって欲しいという設定が伝わってくる。
なかなか面白い設定でまた違った「火垂るの墓」が観れます。
実際の叔母さんは??
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する親戚のおばさんですが、実際は本当に意地悪おばさんだったのか?
現実の叔母さんはホントに酷かったのか?これは誰もが気になっていたと思います。
これについて原作者である「野坂昭如」が言及しています。
西宮のおばさんですが実際のおばさんは全く異なる人物だった。原作者である「野坂昭如」の疎開先のおばさんは
悪態や暴言、嫌味などは無く「野坂昭如」さんだけでなく妹、さらには負傷した養母とその母親まで
の面倒を献身的にして世話をしてくれたと語っています。実際の叔母さんはとても人格者であり優しい人物でした。
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高畑勲監督の予言!?
名作アニメ「火垂るの墓」について監督である「高畑勲」さんが生前に語っていた事が現実となりつつあると話題になっています。
「高畑勲」さんの予言!?とまで言われています。「高畑勲」さんが語った予言!?をまとめました。
高畑勲監督の予言とは!?名作アニメ「火垂るの墓」の考えが変わるかもしれません。
名匠「高畑勲監督の予言!?さっそく見ていこう!
「清太と節子は家庭生活には成功するけれど社会生活に失敗するんですね。いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。お向かいの娘に「うちらも2階の教室やからけえへん?」と誘われて「ぼくらあとでいきますさかい」と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない、置かしてもらった親類の未亡人はいやみを次々いい放つけれど、あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。清太はそれを我慢しない。壕に移り住むことを決断して清太はいいます。「ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。」そして無心に純粋の家庭を築こうとする。そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。」
清太は節子を連れ社会からの孤立を選択した。清太が社会への繋がりを自ら絶ち節子との生活を選んだ。しかしながら、結果として節子を死なせてしまった。
本作品で登場した親戚のおばさんは当時としては当たり前の事を言っていたのかもしれない。社会からの孤立は現代社会でも問題となっている。
高畑勲監督は当時から社会への繋がりを絶ち社会から孤立する人々が増え清太のような考えを持つようになるのではないか?と予言していたように思えます。
実際、現代社会は社会から孤立した、むしろそれを自ら選ぶ人々が多くいるのではないでしょうか?
しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、おとなもみんな清太になりたがり、自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。それがある程度可能なんですね。ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。
清太が社会から孤立し結果、節子死なせてしまった。清太が悪いように思えるが「高畑勲」監督は現代社会の青年達や大人達まで清太になりたがっている。
自分だけの世界に閉じこもり社会との繋がりを自ら絶つ。清太の行動が現代では普通に出来てしまう。清太の心情は理解できるのでは?それでも清太を批判出来るのでしょうか?
まさに現代社会の闇深い問題を予言しているかのように思えます。
でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊、内務班、分列行進歩調とれ!と、ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。社会生活の中でも最悪最低の全体主義がはびこっていたんです。清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。純粋の家庭を築くというのはおそろしく反時代的な行為ですよね。現代の青少年が、私たちおとなが、心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。もし再び時代が逆転したとしたら
清太と節子の生きた時代、集団主義でした。清太は集団主義から抜けだし社会から孤立してしまう。
それはやはり純粋な家庭が欲しかった。しかしながら、その純粋な家庭は当時では反時代的であった。
時代の流れに乗っているにすぎない。この言葉は非常に的を得ているように思います。
「果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします」
そして時代の逆転が起きた時、全体主義に押し流され親戚のおばさんよりも清太を指弾する…。
まさに「高畑勲」さんが恐れていたことが今、現実になろうとしています。本作品でおばさんの発言は意地悪だったのか?
いや…清太が悪い。そう思った人が多いのではないか?それは時代の逆転がまさに今現実になろうとしているように思えます。
清太が悪いとは思わないし叔母さんが悪いとも思わない。本当に憎むべきは「戦争」です。
殺人を犯しても罪に問われない。人々救った英雄も何人犠牲にしてきたのか?果たしてそれは本当に英雄なのか?
この映画では戦争は止められない。戦争を起こす前に何をすべきか行動を促す映画こそ必要だ
一見涙を誘う反戦の意を込めた反戦映画のように思えるが実は違う。
この作品は自分達が清太と節子にならないように、また再び繰り返さない為に、どうすれば良いか?
考えさせられる作品にしたかったのではないでしょうか?
名作アニメ「火垂るの墓」世界中で訳され多くの方が涙した幼い兄妹を描いた作品です。ドロップが好きではしゃいでいた本作品のヒロイン「節子」幼くして儚く消えた「節子」にスポットをあてたいと思います。今回は「節子」の死因について考察していきます[…]
名作アニメ「火垂るの墓」実は正論だった!?「意地悪おばさん」の真実とは??
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する「親戚のおばさん」は意地悪おばさんではなかった。時代背景から至極全うであったと思います。
しかしながら、社会からの孤立を選んだ清太。結果として節子を死なせてしまうが…おそらく彼女はおばさんの家に居たとしても亡くなっていたでしょう。
正論ではあるが、未成年者であることも考慮しなければならない。清太を糾弾する声も多いが…これだけは言える。清太もおばさんも悪くないのです。
悪いのはそう…「戦争」です。愚かな行為が続く世界、清太と節子は何を思うのでしょうか?名作アニメ「火垂るの墓」に登場する親戚のおばさんの
真実は厳しい言葉はあるものの極限状態で他人を預かっていたので意地悪ではない。非常に考えさせられる作品「火垂るの墓」「意地悪おばさん」
にも注目してご覧になって観てはいかがでしょうか?