名作アニメ「火垂るの墓」いわずと知れた巨匠高畑勲監督による作品で、幼い兄妹が終戦前後の混乱した時代を生き抜こうとした涙なくしては観れない物語です。今回はそんな名作アニメ「火垂るの墓」の知られざる衝撃のトリビアと都市伝説を紹介していきます。名作の裏に知られざる驚きのエピソードが存在していました。併せて原作者も紹介していきます。ネット上で囁かれた都市伝説の数々…。衝撃のトリビアとは?早速見ていきましょう!
火垂るの墓
名作アニメ「火垂るの墓」とは野坂昭如さん原作で実話を元に構成された作品です。終戦前後の混乱した時代を幼い兄妹が生き抜こうとし蛍の様に儚く散った二人の命と悲しみを表現した鎮魂の作品です。
火垂るの墓作品情報
火垂るの墓の作品概要について「火垂るの墓」は1988年に公開された高畑勲監督による作品です。原作は野坂昭如さんで「アメリカひじき」と同時期に直木賞を受賞。キャッチコピーは糸井重里による「14歳と4歳で生きようと思った」です。当時、宮崎駿監督による映画「となりのトトロ」と同時上映されました。配給収入は5億9000万となっています。主な受賞歴は日本カトリック映画大賞・ブルーリボン特別賞・文化庁優秀映画・国際児童青少年映画センター賞・シカゴ国際児童映画祭・最優秀アニメーション映画賞を受賞・第1回モスクワ児童青少年国際映画祭にてグランプリを受賞。戦後50周年特別公演として1995年に舞台化されています。2005年に終戦60年スペシャルドラマ「火垂るの墓―ほたるのはか―」がテレビドラマ化され2008年に実写映画化されています。
火垂るの墓のあらすじ
神戸大空襲で母親を失い幼い兄妹は叔母さんの元へ。戦況は益々悪化し食糧難の中、清太と節子は叔母さんに嫌気がさし家を出る。そして二人だけの防空壕での生活が始まるが…。終戦前後の混乱した時代を生き抜こうとした悲劇の物語です。
名作アニメ「火垂るの墓」の原作者について紹介していきます。「火垂るの墓」の原作者は「野坂昭如」さんです。本作品である「火垂るの墓」は「野坂昭如」さんの実体験を元に構成された作品です。ここで本作品である「火垂るの墓」の原作者「野坂昭如」さんについて紹介していこう。歯に衣着せぬ物言いで人気物となりました。大島渚さんとのドツキ合いはもはや伝説となっている。
野坂昭如
野坂昭如さんは1930年生まれの、作家、歌手、作詞家、タレント、政治家です。1957年にテレビ工房の責任者となり、阿木由起夫という名で放送作家として活躍しています。1963年に「エロ事師たち」で作家デビューし、1967年に「火垂るの墓」「アメリカひじき」にて直木賞を受賞。1985年「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ」で講談社エッセイ賞受賞、1997年に「同心円」で吉川英治文学賞受賞、2002年に「文壇」で泉鏡花文学賞を受賞しています。1983年には参議院議員に当選し同年12月参議院議員を辞職し、第37回衆院選に出馬するが選挙運動中に暴漢に襲われ選挙運動を見送らざるを得ない状態になり落選。2001年に第19回参院選に出馬し落選しています。1990年に映画監督大島渚の真珠婚式パーティーで大島渚の勘違いで野坂昭如の挨拶の順番を飛ばして進行、結果、大量に飲酒し酩酊状態に…。そして、祝辞を終えると同時に、大島渚へ強烈なパンチ繰り出し、大島渚とドツキ合いとなった。後に双方謝罪し和解しています。昭和の文豪であり多彩な才能を持った豪傑は2015年に惜しまれつつこの世を去る。
- 主な受賞歴 日本レコード大賞作詞賞(1963年)
- 直木三十五賞(1967年)
- 講談社エッセイ賞(1985年)
- 吉川英治文学賞(1997年)
- 泉鏡花文学賞(2002年)
- 安吾賞新潟市特別賞(2009年)
衝撃!火垂るの墓のトリビア!!
名作アニメ「火垂るの墓」には知られざる衝撃のトリビアが幾つか存在します。悲しき物語に秘められたトリビアとは?意外な事実が判明しました!早速みていこう!
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。「火垂るの墓」のタイトルは「火垂る」となっています。「火垂る」は、「蛍」と書くはずです。これにはきちんとした訳があります。「火が垂れる」と書いて「火垂る」、つまり、爆弾を意味しています。空襲の際、空が蛍のように光っている光景を見た作者が名付けたとされています。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアを紹介していきます。清太の妹で本作品の悲劇のヒロイン「節子」この「節子」という名についてのトリビアです。「節子」という名前は、原作者である野坂昭如さんの亡くなった養母の実名です。そして、実は彼が小学校1年生の時に一目ぼれした初恋の女の子の名前なんです。意外な事実にちょっとショックですね…。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。「火垂るの墓」は幼い兄妹が戦火に巻き込まれ悲しい結末を迎えています。一見「火垂るの墓」は反戦映画のように思えるが、高畑勲監督は反戦映画ではないと断言されています。この「火垂るの墓」の製作の意図について高畑勲監督は「戦争の時代に生きた、ごく普通の子どもがたどった悲劇の物語を描いた」と語り「まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならなかった」と語っています。疎ましい人間関係から逃れ、清太と節子だけの世界を作り、自分たちだけの空間で生きようとする幼い兄妹の姿を描くことに意図がありました。現代の若者と通じるものがあり奥が深い作品である事がわかります。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。「火垂るの墓」のポスターは、蛍が飛び交う川原で清太と節子が戯れる微笑ましいポスターです。しかし、このポスターに描かれた蛍ですが、実は「爆弾」です。空が蛍のように光っているのは、焼夷弾です。さらに、公開から30数年経過し、ポスターには爆撃機B29の影も存在している事が判明した。この爆撃機の影、当時を知る者がおらず誰が描いたのかは不明ということです。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。劇中で清太と節子の父親が登場する「観艦式」のシーンがあります。「観艦式」とは軍事パレードの一つで実際に行われていました。このシーンに登場する軍艦を描いているのは、庵野秀明さんです。庵野秀明さんは「新世紀エヴァンゲリオンや「シン・ゴジラ」の監督として知られています。庵野秀明さんは軍艦を描くにあたり当時の戦艦の資料を集め、1ヶ月かけ巡洋艦のラッタルや手すりの数から細部まで調べ正確に描いていました。しかし、公開時、庵野秀明さんが描いた軍艦は真っ黒に塗りつぶされていました。これは今でもトラウマになっていると云われています。因みに「風の谷のナウシカ」の巨神兵を描いたのも庵野秀明さんです。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。「節子」声優は「白石綾乃」さんです。「白石綾乃」さんは当時5歳でした。清太役の「辰巳努」さんは「あの子の声のおかげで、だいぶやりやすかった。あの子の声やから、最後の節子が死にそうになるところで、思わず素直にセリフが出てしまったのかもしれません」と語っています。節子役の「白石綾乃」さんは当時全くの素人で、当時は無名の素人が抜擢されるのは異例だったとされています。あんなにも素晴らしい演技をされていたのには秘密があります。それは録音方法にあります。プレスコ手法を使って録音したのです。プレスコ手法とは通常アニメに合わせて演じるのに対し先に音声を撮り後からアニメを合わせる手法の事です。高畑勲監督のリアリティーを追及した結果、多くの方が涙する素晴らしい自然な演技となった。因みに素晴らしい演技をされた「白石綾乃」さんは既に芸能界を引退されています。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。当時、本作品である「火垂るの墓」は宮崎駿監督の「となりのトトロ」と同時上映される事になったのですが、両作とも60分でしたが、「火垂るの墓」の時間が延長されると、「となりのトトロ」もまた延長となった。実は、本作品である「火垂るの墓」は公開までに彩色の作業が間に合わない事が判明しています。1988年4月の公開時点で清太が野菜泥棒をして捕まるシーンなどを色の付かない白味・線撮りの状態で上映されていました。しかし、このシーンは公開後に完成し、後に差し替えられています。この事で公開までに間に合わなくなった際、未完成版を公開したポール・グリモーの「王と鳥」のように冒頭に間に合わなくなった経緯を付けて公開する提案をしています。高畑勲監督の提案をプロデューサーの鈴木は断り、2箇所彩色が抜ける状態で公開しています。後に、わずかではあるが未完成での公開という不祥事に対し、高畑勲監督は責任を痛感しアニメ演出家廃業を決意します。しかし、宮崎駿監督の後押しを受け1991年の「おもひでぽろぽろ」にて再び監督となり大ヒットさせる事に成功しています。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。劇中で母が清太に残したお金が7000円についてのトリビアです。この7000円って現在はいくらになると思いますか?この7000円は終戦前と終戦後で大きく変動しています。終戦前の昭和20年代で換算すると約1300万程の大金となります。しかし、終戦後、約1300万から約380万に激減してしまいます。物資がない日本でお金は無意味だったのかもしれないですね…。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。二人が過ごした防空壕は実在しています。名前は「ニテコ池」。西宮市にある「ニテコ池」ですが現在は桜が咲きジョギングやウォーキングを楽しめる場所として知られる。因みに「野坂昭如」さんは妹と防空壕で生活した事はない。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。劇中で登場する西宮の叔母さんは清太や節子が疎ましくなり辛くあたっています。しかし、実際はそのような事実はない。そして、叔母さんの娘で二歳上の三女に恋心を抱き夢中になっていました。妹そっちのけで初恋にときめいていました。
名作アニメ「火垂るの墓」の衝撃のトリビアについて紹介していきます。劇中で描かれている空襲の描写についてのトリビアです。高畑勲監督自身も、岡山大空襲を経験しています。その記憶が劇中の空襲の描写に活かされています。神戸大空襲を実行したアメリカ軍爆撃機B-29についても非常に細かく描かれています。空襲のシーンで登場する爆撃機は実在の機体です。テールマークに「Z」の文字はサイパン島に配置されていた第500爆撃団第883飛行隊の所属機です。機体番号が描かれている6機は「41」機(愛称マイプライドアンドジョイ)「42」機(愛称スパイン・シュー)「44」機(愛称なし)「47」機(愛称なし)「50」機(愛称ファンシーディティール)「51」機(愛称テイルウィンド)は実在していた機体です。そして、高畑勲監督はB-29の侵入した方角などを徹底的に調べて描いています。
名作アニメ「火垂るの墓」節子!衝撃の死の真相!節子の死因を考察!実話と原作との違いとは?
火垂るの墓の都市伝説!
名作アニメ「火垂るの墓」の都市伝説について紹介していきます。ネット上で囁かれた「火垂るの墓」の都市伝説、果たしてその真相とは?都市伝説について迫ります!
節子がホームで待っている!?
名作アニメ「火垂るの墓」の都市伝説について紹介していきます。本作品である「火垂るの墓」のヒロイン「節子」が宮崎駿監督の作品に出演しているという都市伝説があります。それは「千と千尋の神隠し」です。千尋が湯婆婆に会いに行くのに使用した謎の電車「海原電鉄」この電車の駅「沼原駅」に一人立つ少女がいます。この少女が本作品である「火垂るの墓」のヒロイン「節子」だというのです。「節子」がこの駅で兄の「清太」を待っているという都市伝説です。しかし、個人的には全くの他人だと思う。なぜなら彼女はスカートなど履いておらんのであります。歳も少し上のように見えますが…。「ちび○子ちゃん」?にも見えるのだが…。
清太と節子は幽霊だった!?
名作アニメ「火垂るの墓」の都市伝説について紹介していきます。本作品である「火垂るの墓」の主人公「清太」とヒロイン「節子」は既に亡くなっており、本編は2人が幽霊となり何度も繰り返しているという都市伝説です。実際に高畑勲監督が以前、「清太と節子の幽霊を登場させているのだが、気の毒なことにこの体験を繰り返すしかないのだ」と、語っています。赤っぽくなっているのは阿修羅をイメージした演出です。そして、冒頭で「昭和20年8月22日僕は死んだ」と清太が語っています。駅員が投げたドロップ缶から出てきた骨の欠片は節子。蛍が二匹飛び交いカットバックし神戸大空襲の日へ…。そして、幽霊となり復興した神戸の街を見つめ、再び神戸大空襲の日へ戻るという都市伝説です。
火垂るの墓は放送禁止!?
名作アニメ「火垂るの墓」の都市伝説について紹介していきます。「火垂るの墓」が2011年から放送されなくなり、放送禁止になったのではないか?と囁かれていました。その理由は、ドロップ(サクマドロップ)が関係しているとされています。これはドロップの商標権が絡んでいる。噂では裁判を起こしたほど問題となり、「サクマドロップ」と「サクマ式ドロップス」に分けられたと云われています。また、被害者意識を植えさせるという理由でも放送を中止させているという噂もあり、国や第3者が多額のお金でテレビ局やマスコミなどを買収しているとまで囁かれていた都市伝説です。
名作アニメ「千と千尋の神隠し」の製作秘話!知られざる裏設定と衝撃の雑学トリビアとは?
名作アニメ「火垂るの墓」知られざる衝撃のトリビア!と都市伝説!まとめ
名作アニメ「火垂るの墓」の知られざる衝撃のトリビア・都市伝説は驚きの裏側が存在していました。本作品である「火垂るの墓」は巨匠高畑勲監督の作品に掛ける熱い想いが込められている。同時にリアルを追及した結果、素晴らしい作品となった。本作品である「火垂るの墓」は海外でも様々な意見が聞かれるが、戦争の善悪に関係なく、一番の被害者は罪のない子供達なのではないでしょうか?清太と節子のように戦争の悲劇は未だに続いてる。本作品は反戦映画ではないとされているが、非常に考えさせられる作品である事に間違いない。当時、彼らのように戦災孤児は珍しくなかったのかもしれませんが、今なお、戦災孤児が存在する事を忘れてはならない。トリビアと都市伝説を知ったうえで本作品である「火垂るの墓」ご覧になって観てはいかがでしょうか?