名作映画「火垂るの墓」に隠された驚愕の真実とは?

名作映画「火垂るの墓」の新事実!「火垂るの墓」のポスターの意味、そして、原作と真実についてなど、名作映画「火垂るの墓」に纏わる都市伝説を徹底解説していきます。知られざる「火垂るの墓」に迫ります。

火垂るの墓とは?

火垂るの墓とは、野中昭如さん原作の短編小説を元にした作品です。

戦争により両親を失った、14歳の兄、清太と幼い妹、4歳の節子が終戦前後の時代を必死に生き抜こうとしたが、食料不足から妹節子を失い清太自身も力尽きてしまう。

儚く消えた幼い二人の命を蛍に例え悲しみと鎮魂を独特の世界観で表現した作品です。

火垂るの墓作品概要

火垂るの墓の作品概要について「火垂るの墓」は1988年に公開された高畑勲監督による作品です。原作は野坂昭如さんで「アメリカひじき」と同時期に直木賞を受賞。

キャッチコピーは糸井重里による「14歳と4歳で生きようと思った」です。当時、宮崎駿監督による映画「となりのトトロ」と同時上映されました。

火垂るの墓のあらすじ

火垂るの墓のあらすじを紹介していきます。

2匹の蛍

「昭和20年9月21日、夜僕は死んだ」のフレーズで物語りはスタートします。三ノ宮駅構内で力尽き倒れているのは清太14歳です。駅員が彼の持っていたドロップ缶を投げ捨てます。投げ捨てられたドロップ缶の中から小さな骨の欠片が散らばり、蛍となり飛び幼い節子と清太が現れます。蛍は清太と節子の魂となり在りし日々を回想していきます。

神戸大空襲と母の死

昭和20年6月空襲警報が鳴り響く、持病のある母を先に避難させ、清太14歳は妹の節子4歳をおぶり避難します。先に避難したはずの母は避難する途中で被災し瀕死の大火傷を負う。清太が駆け付けると全身包帯の母の姿がありました。恐ろしさのあまりその場を離れる清太、その後、母は息を引き取る。節子には病院に入院すると伝えます。

親戚のおばさん宅

空襲で家を失い焼け出された時には父の従兄弟にあたるおばさん宅へと身を寄せる事になります。最初は親身になってくれてましたが、敗戦が色濃くなり食糧も少なくなり始めると二人を疎ましく思い、ことあるごとに詰め寄るようになります。

防空壕での生活

二人を疎ましく思うおばさん宅から出ていく決意を決め清太は幼い妹節子をつれて近くの池の畔にある防空壕で生活を始めます。

蛍と節子

ある日蛍を見つけた節子、捕まえるも勢い余って潰してしまいます。清太は蛍を沢山捕まえ灯りのない蚊帳の中で蛍を放ちます。幻想的な光に包まれしばし安息の時を楽しみます。翌朝、蛍は死んでおり節子は蛍の為にお墓を作っていました。節子は母もお墓に入ってるんやろ?と言います。おばさんは母の死を節子に教えていました。そこで清太は節子が母の死を知っていた事を知ります。

生き抜くために

二人の生活は食糧は底を付きます。節子の体調も悪くなり始め、清太は生き抜くために畑泥棒をします。しかし、見つかってしまいひどい仕打ちを受けます。その後も、節子の体調は、ますます悪くなり清太は空襲に紛れて火事場泥棒を働くなど生き抜くために必死でした。

敗戦と父の死

ある日、清太が帰ってくると節子が倒れていました。清太は急いで病院へ連れていきますが、何の治療も薬も出すわけでもなく、栄養失調から来るもので滋養をつけなさいと言います。清太は滋養なんてどこにあるんですか!と怒りをぶつけます。

その後、清太は節子に食べたいものを聞くと天ぷらやお造りそしてもう一度ドロップが舐めたいと呟きます。清太は節子の願いを叶えるために銀行へ行きます。

そこで日本が戦争に負けた事を知ります。父が乗船する連合艦隊も壊滅し1隻も残っていない事を知り父の死を知ります。

節子の死

防空壕へと戻ると衰弱しきった節子がドロップと間違えおはじきを舐めていました。意識も混濁する中、清太はスイカを口に入れてやります。

おおきにと小さく呟くと節子は2度と目を覚ましませんでした。節子の亡骸を荼毘にふし小さな骨の欠片をドロップ缶に入れ、そのまま防空壕へ戻る事はありませんでした。

ラストシーンと高層ビル郡

そして、1945年9月21日の夜、清太は三ノ宮駅構内で力尽き節子の元へ向かいます。二人は小高い岡の上から現在の高層ビル郡を見下ろしラストを迎えます。

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火垂るの墓の登場人物

名作映画「火垂るの墓」に登場する人物を紹介していきます。

清太

本作品である「火垂るの墓」の主人公です。14歳にして両親を亡くし4歳の妹、節子と食糧難の中、必死に生き抜こうとします。しかし、節子と同様に清太もまた、三ノ宮駅構内で力尽きてしまいます。

節子

清太の4歳の妹です。母の死を知らずにいましたが、物語中盤でおばさんから母の死を聞かされ知っていました。食糧難で栄養失調に陥り亡くなってしまいます。

母の着ていた着物などよく覚えています。灯りの変わりに蛍を飛ばし喜んだり、ドロップが好きで衰弱しきった状態で意識が朦朧とするなかもう一度ドロップが舐めたいと話していましたが願いは叶いませんでした。

清太と節子の母

清太と節子の母は、心臓に持病を持っています。気立てがよくて上品です。2人より先に避難すると言い家を出ますが途中で被災してしまい、清太が駆け付けた際は全身包帯で意識も混濁しており、その後息を引き取ります。登場するシーンは冒頭と回想のシーンのみと少ない。

清太と節子の父

清太と節子の父は軍人で出征しています。海軍大尉であり、本作品では回想シーンと写真で登場します。清太が終戦と、連合艦隊壊滅知り戦死とされているが生死は不明です。

親戚のおばさん

西宮に住む清太と節子の親戚のおばさんです。空襲で焼け出された場合にお互いに身を寄せ合う予定になっていました。

しかし、徐々に二人の存在が疎ましくなり清太と節子の母の着物と米を交換した際は自分の娘にはご飯を盛り清太と節子には雑炊だけにしたり溝は深まり清太と節子が家を出ていった時も特に引き止めもしませんでした。

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火垂るの墓のポスターの真実!

火垂るの墓のポスター、清太と節子が蛍と共に描かれ節子が楽しそうに蛍と戯れているポスター。

このポスターは蛍の光だけではありません。よく見ると落ちていく光が混じっているのがわかります。

実は、この落ちていく光は米軍の爆撃機B29による焼夷弾の光、だから蛍と書かず火垂ると書きます。

さらに、ポスターの照明度をあげると二人の上空には巨大な爆撃機B29の影が浮かび上がります。

火垂るの墓の原作と真実とは?

火垂るの墓の原作者、野坂昭如さんが後にかたった真実について、実体験が元になっていますが、実際の妹は1歳4カ月で言葉も話せなかったと言います。

火垂るの墓の清太ほど優しくはなく、時には夜泣きする妹に手を上げ、脳震盪を起こさすなどほぼ虐待に近かったといいます。

そして、空襲で母を亡くしてはおらず健在でした。また、劇中のように叔母さんは厳しくもなく防空壕で生活したという事はありません。

節子という名は野坂昭如さんの養母の実名で、小学校の時に一目ぼれした初恋の相手の名前です。

節子の死因の真実とは?

節子の死因は栄養失調によるものと考えられますが、実は栄養失調だけではありませんでした。

空襲の後に軍需工場の有害物質が雨となり節子の目に入ってしまいます。

その有害物質が体内に取り込まれてしまい、さらに免疫力を弱め栄養が取り込みにくい状態であったと考察されます。

実際に冒頭のシーンで目を擦る仕草や目の痛みも訴えています。節子の死因は栄養失調である事に間違いないのですが、少なからず有害物質も死の要因の1つとして考えられます。

 

清太と節子の父親は?

清太と節子の父についてですが、作中で登場するのは観艦式と写真のみです。モデルは清太の1935年に観艦式を観ておりこのシーンで父が登場します。

清太の父は海軍大尉で、巡洋艦「摩耶」に乗船していました。巡洋艦「摩耶」は史実では、レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により撃沈されています。

769名が救助されており生存している可能性もあります。

貯金7000円は現在でいくら?

劇中で母が清太に残したお金が7000円あったというシーンがあります。ここで気になるのが7000円って現在はいくらになるのか?という疑問です。

終戦前と終戦後で7000円は大きく変動しています。終戦前の昭和20年代で換算すると約1300万程の大金になります。

しかし、終戦後では約380万に激減してしまいます。大金を持っていたとしても終戦後の混乱と食糧難の為に食料は手に入りにくい状態であり、栄養失調になるのも頷けます。

節子の声優は?

本作品である「火垂るの墓」の節子の声優について、節子の声優を担当していたのは白石綾乃さんです。当時5歳でした。

現在は所在を明らかにしていない為、行方はわかりません。プロの声優ではなかったのですが、子役として活動されていました。

節子の声優として起用し、自然体で演じよりリアルな描写に変化させ多くの人を惹き付けました。

ジブリ作品に節子が登場?!

スタジオジブリ作品に節子が登場しているとの噂が囁かれています。スタジオジブリといえば本作品である「火垂るの墓」監督、高畑勲の盟友、宮崎駿監督です。

「千と千尋の神隠し」に登場しているとの噂が広がっています。千尋が銭婆の元へ向かう際に使った電車があり、そこで登場する「水上の駅」ホームに節子の姿があるというのです。

確かに節子らしき姿がありますが、信憑性は薄く映画を楽しむ為に広かった噂の1つではないかと考えられます。

名作映画「火垂るの墓」が放送禁止?!

本作品である「火垂るの墓」が一時、金曜ロードショーで放送されないといった噂が広がりました。

これは、劇中で節子が口にし重要な役割を果たす「サクマ式ドロップ」にあります。

放送禁止になった理由ですが、実はこの「サクマ式ドロップ」の登録商標の問題といわれています。サクマ製菓と佐久間製菓がありサクマ製菓と佐久間製菓が商標権を巡り争っています。

この一連の騒動から放送を控えたと考えられます。しかし、放送禁止になっているとは言い難く信憑性は薄いといえます。

2人が過ごした防空壕

劇中「火垂るの墓」に登場する2人が過ごした防空壕について、この防空壕はれね実際に存在している防空壕で、兵庫県西宮市内にあり「ニテコ池」と呼ばれ現在は「火垂るの墓」の舞台となった場所として石碑が建てられる予定です。

高層ビル群の意味

本作品である「火垂るの墓」のラストシーンに登場する高層ビル群の意味についてを考察していきます。ラストシーンに突然現れる現在の高層ビル群、何でもそろい不自由のない日本をですが、何か大事な物を失いつつある日本、そして、自ら命を絶つ人を見て清太と節子は何を想うのでしょうか?

2人の魂は過去を見続け変わりつつある日本を遠目に生きる意味を教えているように思えます。生きるという事、この時代の節子と清太は生きたかったがそれが叶わなかった。高層ビル群を見つめ生と死を見続け現代人に生きるという本質的な事を訴えているように思えます。

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名作映画「火垂るの墓」に隠された真実とは?まとめ

いかがでした?名作映画「火垂るの墓」に隠された真実とは?終戦前後の混乱した時代を生きた作者の真実の姿が見えました。反戦の意を込めた映画ととらわれがちですが高畑勲監督自身は反戦映画ではないと述べていました。戦争映画ではありますが、戦闘シーンがない映画でここまで人々を感動させ惹き付ける魅力を生むのはやはり高畑勲監督作品恐るべしといった感想を持ちます。火垂るの墓の真実を知る事でまた、新たな観方が生まれ楽しみが増えます。今1度ご覧になってみてはいかがでしょうか?

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