名作アニメ「火垂るの墓」世界中で訳され多くの方が涙した幼い兄妹を描いた作品です。ドロップが好きではしゃいでいた本作品のヒロイン「節子」幼くして儚く消えた「節子」にスポットをあてたいと思います。今回は「節子」の死因について考察していきます。栄養失調で亡くなったとされていますが、実は衝撃の死因が別にあった?そして、本作品である「火垂るの墓」の実話と原作との違いを検証していきます。節子の衝撃の死の真相に迫り、実話と原作との違いを紹介していきます。名作アニメ「火垂るの墓」はやはり深い作品である…。早速見ていきましょう!火垂るの墓
火垂るの墓
火垂るの墓とは、「野坂昭如」さん原作による小説を元に構成されたアニメ作品です。戦時下と戦後の混乱の中で生きた幼い兄妹の物語です。1967年に「直木賞」を受賞した作品で、日本だけでなく世界で翻訳され考えさせられる作品となっています。
火垂るの墓作品情報
「火垂るの墓」の作品情報について紹介していきます。「火垂るの墓」は原作「野坂昭如」さんによる作品で第58回直木賞を受賞しています。1988年に「高畑勲」さんによりアニメ化されました。当時、宮崎駿監督作品の「となりのトトロ」と同時上映され現在はアニメ映画界の二大巨頭の代表作となっています。キャッチコピーは「4歳と14歳で、生きようと思った」です。日本カトリック映画大賞・ブルーリボン特別賞・文化庁優秀映画・国際児童青少年映画センター賞・シカゴ国際児童映画祭・最優秀アニメーション映画賞を受賞・第1回モスクワ児童青少年国際映画祭にてグランプリを受賞しています。戦後50周年特別公演として1995年に舞台化されています。2005年に終戦60年スペシャルドラマ「火垂るの墓―ほたるのはか―」がテレビドラマ化され2008年に実写映画化されています。
火垂るの墓のあらすじ
名作アニメ「火垂るの墓」のあらすじを紹介していきます。兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台となっています。戦時下で両親を失い引き取り先の叔母との生活に馴染めず険悪な仲となり14歳の兄「清太」と4歳の妹「節子」が、終戦前後の混乱の中を兄妹で独立して生き抜こうとするが、誰にも相手にされる事なく蛍のように儚く消えた2つの命の悲しみと鎮魂を表現した物語です。
https://www.ghibli.jp/works/hotarunohaka/
火垂るの墓の原作者は?
名作アニメ「火垂るの墓」の原作者について紹介していきます。「火垂るの墓」は実話を元に構成された作品です。太平洋戦争を経験しからこそ書ける。リアルな作品となっています。「火垂るの墓」の原作者は「野坂昭如」さんです。
野坂昭如
節子の本当の死因とは??
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する清太の妹「節子」幼くして命を落としてしまいます。ここで「節子」の死因についてを考察していきます。一般的にはまともな食事が採れなかった為とされていますが、実は「節子」には本当の死因が存在する事が判明。「節子」の本当の死因とは?複数の可能性を考察します!
栄養失調!?
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する清太の妹「節子」の死因について考察していきます。節子の死因で一番可能性が高い死因とは「栄養失調」です。清太が節子の湿疹と下痢が続く事から病院へ連れて診察してもらっています。その際、医者は滋養のある物を食べさせなさいと話しています。そこで清太がキレていたのも印象的なシーンです。戦時下の日本、ただでさえ食糧難、ましてや幼い兄妹二人だけで食糧を調達するのは難しい事です。衰弱した節子はやがて栄養失調で寝たきり状態となり死に直結したと考えられます。
汗疹!?
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する清太の妹「節子」の死因について考察していきます。幼くしてこの世を去る事になってしまった悲劇の幼子「節子」死因として考えられるのはまず汗疹です。この汗疹は節子の背中に表れました。汗疹に効果があるとされているのが海水です。清太も節子を連れ海水で流していました。しかし、節子は海水が染みると痛がり、汗疹で出来た湿疹は次第に悪化し節子の背中一面に広がっていきました。この汗疹だと思っていた湿疹、実は「疥癬 (かいせん)」だったという可能性があります。「疥癬 (かいせん)」は強い痒みと湿疹を伴うとされています。そして、節子と清太が生活していた防空壕は、衛生上良くない環境でした。節子の掻きむしった背中の傷から細菌が入り感染症を引き起こした事が死因と考察できます。
黒い雨!?
名作アニメ「火垂るの墓」に登場する清太の妹「節子」の死因について考察していきます。節子の目に雨が入るシーンがあります。そして、劇中でもよく目を擦っていました。その後、目が痛いと訴えます。節子の右目に落ちるシーンがあります。節子の死因にこの雨が大きく関係している事が考えられます。たかが、雨で?と思うかもしれませんが、この雨は、空襲の後に降る「黒い雨」です。「黒い雨」は軍需工場から出る有毒な黒煙を含んだ雨です。空襲により軍需工場が爆撃され有毒な物質が黒煙と共に空へと上がり大気中に含まれ雨となる。節子の目に入った「黒い雨」は節子の免疫力をさらに低下させたと考えられます。免疫力が低下したことは節子の死因と大きく関わっていると考察できます。
神戸大空襲
火垂るの墓の実話との違い
名作アニメ「火垂るの墓」は終戦前後の混乱する時代に生きた幼い兄妹の物語です。兄妹の悲劇を描いた作品で高い評価を得ています。本作品である映画「火垂るの墓」と原作の「火垂るの墓」では違いが幾つか存在します。ここではアニメ映画版「火垂るの墓」と原作の「火垂るの墓」の違いを検証していきます。名作アニメ「火垂るの墓」の真実に迫ります!
名作アニメ「火垂るの墓」の実話との違いについて、アニメ映画版「火垂るの墓」では父は戦死、母は空襲により死亡しています。小説版でも空襲で父母をなくしたとあります。しかし、実際は、養父と養母がいました。養父は実際に空襲で行方不明となっていましたが、養母は生きており、元から一緒に暮らしていた養祖母も健在でした。
名作アニメ「火垂るの墓」の実話との違いについて、食糧事情は原作のように悪かったものの、小説のようなひどい扱いは実際には受けていません。そして、家を出て防空壕で生活したという事実もありません。しかし、モデルとなった防空壕は実際に存在しており、現在「火垂るの墓」の石碑が建っています。
名作アニメ「火垂るの墓」の実話との違いについて、妹は節子だけが登場しますが、実話は、二人の妹がいます。上の妹はまだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなっています。戦争により家を失い面倒を見なければならなくなった下の妹は疎ましく感じていました。そして虐待に近い行動をとっていました。さらに食糧事情が厳しくなり食べ物も与えず、痩せ衰えた下の妹は餓死しています。良き兄として、下の妹恵子へ贖罪と鎮魂の思いを込め「火垂るの墓」が生まれたとされています。
1945年6月5日の神戸大空襲で義父が行方不明となり当時14歳だった野坂昭如さんは下の妹である恵子と共に西宮の親戚の家に身を寄せる事になります。そこで野坂昭如さんは西宮の親戚の家に住んでいた2歳年上の京子に初恋をして妹の面倒を見るよりも淡い恋心に夢中になっていったとされています。
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名作アニメ「火垂るの墓」節子!衝撃の死の真相!節子の死因を考察!実話と原作との違いとは?
名作アニメ「火垂るの墓」の節子の死因には様々説があります。今回、考察した節子の死因も一概には無視できないものであると考えられます。食糧難を乗り越えようとしますが結果として誰にも相手にされないそして孤独な死を迎える。これは現代社会にも通じるものがある。実に考えさせられる作品であると同時に反戦映画としての意味合いも強くあるように思います。実話との違いはあるものの戦時下の混乱した時代では節子のような戦災孤児も数多く存在しており、盛り過ぎていたいた印象は受けない。そして、今も尚、節子達同様に罪のない子供達が戦争の犠牲者として存在しているのを忘れてはならない。戦後、豊かになりすぎた代償は計り知れないのかもしれません…。