日本の美しいお城に秘められた怖い伝説とは!?

国宝にもなっているお城、四季折々で色んな顔を魅せ人々を惹き付け楽しませてくれています。世界に誇れる日本国内の美しいお城。ですが、このお城には恐ろしく怖い伝説が存在するのをご存知でしょうか?戦国時代の群雄割拠を生き抜いたお城の怖い伝説。今回はそんなお城の怖い伝説について迫ります。どんな怖い伝説があるのか?まとめました。

お城とは?

古代から江戸末期まで、武力による侵攻を防ぐ為に建設された軍事的防衛施設です。お城全体を指し示す場合には、城郭と呼ばれています。また、侵攻した時や防衛する時の最前線を「出城」と云い、「出城」は主に主戦場を指し示す言葉としています。

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お城の種類

お城には種類があります。どんな種類があるのか?見ていきましょう。

山城

山城は群雄割拠の戦乱の時代に地形を利用し敵の侵略を防ぎ攻めにくい構造をしたお城です。防衛に優れた城や戦略を立てやすく進攻する際の拠点などに使われていました。

平城

平城は山城と違い防衛的要素が薄くなります。戦乱の時代が終わり天守閣に重きを置くようになったお城です。絢爛豪華な天守閣や権力を誇示する為のお城が多くあります。

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日本三大名城

日本三大名城は諸説あり、城郭を規模元に選定されたお城や設計の際に機能を重視した選定によるお城、それぞれが名乗っているだけなど様々です。

城郭の規模

  • 姫路城
  • 名古屋城
  • 大阪城

日本名城百選

  • 大阪城
  • 熊本城
  • 江戸城

江戸時代の文献

  • 名古屋城
  • 大阪城
  • 熊本城

現存する天守閣

  • 名古屋城
  • 熊本城
  • 姫路城

それぞれが名乗っている

  • 大阪城
  • 姫路城
  • 名古屋城
  • 熊本城

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お城の怖い伝説

美しい世界に誇れる日本のお城、世界遺産にも認定され海外からも高い評価のあるお城。その昔、激戦を戦いぬいたお城の数々。そんなお城には歴史に埋もれた怖い伝説が存在しています。お城の怖い伝説を紹介していきます。

伏見城

慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦直前の事です。徳川家康は会津の上杉景勝討伐の為に鳥居元忠以下1800名に伏見城守備を命じます。

家康が京を離れ伏見城が手薄になっているのを見逃さなかった石田三成は、軍を率いて侵攻を開始します。その数およそ約9万。石田三成の軍勢約9万は伏見城に攻め入ります。鳥居元忠とその部下達は奮戦しますが、多勢に無勢遂には力尽き落城してしまいます。落城する伏見城で鳥居元忠ら380名以上が自刃します。

その後、関ヶ原の合戦が勃発し、約2ヶ月もの間、鳥居元忠達の遺骸は伏見城に放置された状態になっていました。その結果、血痕や顔や鎧の跡が縁側の板に染み付きいくら拭いても洗っても落ちなかったとい云われています。供養のため寺に移した際足で踏む床板にしては供養にならないからと天井にして手厚く供養されています。養源院、源光庵、正伝寺、宝泉院、興聖寺に移築されています。今でも「血天井」として伝わっています。

八王子城

1590年6月23日未明、突如として豊臣秀吉の軍勢が八王子城に攻め入ります。八王子城を守るのは狩野一庵ら家臣と農民たち約3千名でした。

当時、八王子城の城主である北条氏照は不在でした。約1万5千の軍勢に奮戦するも多勢に無勢、僅か一日で八王子城は落城してしまいます。城内に残った者は首をはねられ北条軍の前に晒され、北条軍の士気を下げ戦意を喪失させたと伝わっています。

そして…城内の僅かな家臣と婦女子、領民の妻子達は次第に追い詰められ城内に流れる滝に次々と身を投げました。

その数の多さから滝の水は三日三晩血で赤く染まったと伝えられています。八王子城落城を知った城主北条氏照は床を叩いて号泣したと伝えられています。

丸岡城

丸岡城築城の際に天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行せず困り果てます。そこで人柱をたてる事になりました。人柱に選ばれたのは城下に住む貧しい片目の未亡人「お静」という人物でした。

「お静」は息子を武士に取り立てる事を条件に人柱となる事を申し出ます。「お静」は人柱となって土中に埋められました。「お静」のおかげて工事は無事完了します。

ところが…柴田勝豊はほどなく移封されてしまい、「お静」の約束は果たされる事はありませんでした。それを怨んだお静の怨霊が大蛇となって大暴れしたという伝説があります。

毎年4月に堀の藻を刈る頃に丸岡城は大雨に見舞われています。人々はそれを「お静」の涙雨と呼んだそうです。城内には今でも「お静」の慰霊碑が残っています。

三木城

1578年3月~1580年1月までに行われた別所長治と羽柴秀吉との合戦です。籠城戦を展開した戦で総勢7500人が集まっていたが秀吉は徹底的に支城を攻略しました。その結果、三木城への補給路が全て経たれてしまいます。やかで城中を飢餓に陥らせ城内の者は飢えをしのぐ為、牛や馬を食べ、草や木の根、木の皮を囓ったそして、虫や蛇、鼠を捕らえて食べ、果てには壁土の中の藁まで口にしたといいます。遂に別所長治は降伏自らの命と引き換えに兵士と領民の助命を約束してもらい1年10カ月に及ぶ籠城戦は終わります。後にこの合戦は「三木の干し殺し」と呼ばれるようになっています。

鳥取城

数ある戦国史で最も凄惨な合戦で知られています。鳥取城を攻めた羽柴秀吉は三木城に続きまたも兵糧攻めを行います。兵糧攻めを開始して2ヶ月もすると城内の食糧はほぼ尽きてしまいます。やがて、城内で飼っていた家畜まで食べてしまいます。そこからさらに地獄絵図と化していきます。餓死した者の肉を食べるまで地獄の様相を呈し城から逃げ出した者は秀吉軍から鉄砲で撃たれます。その撃たれた者の肉をまだ息があるのにも関わらず城内の者が手足を斬って我先にと争って食う始末であった。1581年10月の開戦から4カ月凄惨な惨状の中、吉川経家は城兵の命と引き換えに降伏します。この地獄のような合戦は「鳥取の渇え殺し」と呼ばれ後世まで伝えられています。

姫路城

永正年間のこと、城主小寺則職の執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画を画策し、これに気づいた忠臣の衣笠元信は愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み内情をスパイさせます。青山一家の計画は成功します。それでもお菊は青山家に残り元信に情報を送り続けていました。しかし、ついに町坪弾四郎にお菊がスパイである事が気づかれてしまいます。それを理由に結婚を迫られますが、お菊は首を縦に振りませんでした。腹を立てた弾四郎は、家宝であった皿10枚のうち1枚を隠してお菊の不始末として責め、最期には殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。その井戸は今でも「お菊井戸」として残っています。

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日本の美しいお城に秘められた怖い伝説とは!?まとめ

いかがでしたか?戦国のお城について…桜の季節をより美しく魅せるお城。そんなお城は激戦を経て数々の伝説を残している事が分かりました。桜を愛でる習慣のある私達ですが桜をより美しく魅せるお城には桜のように儚くも散って逝ったドラマがありました。桜同様にお城は観る角度により様々な顔をもっています。お城の裏の顔を知る事でお城の凄さが分かります。



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