【戦国ミステリー】日本のお城に隠された秘密の抜け穴伝説とは?

日本の美しいお城、かつて天下統一を夢見た強者が戦で使用していました。難攻不落のお城など数多くのお城が築城され戦になれば籠城戦は最後の手段として用いられていました。そんなお城には落城した際、絶体絶命を打破する最後の手段「秘密の抜け穴」が存在すると語り継がれています。今回は【戦国ミステリー】各地のお城に眠る秘密の抜け穴伝説を紹介していきます。お城には数多くの秘密の抜け穴伝説が存在していました。今なお語り継がれる【戦国ミステリー】お城に隠された秘密の抜け穴伝説に迫ります!

秘密の抜け穴伝説とは?

かつて天下統一を志した多くの武将が存在しました。大名となり国を持ち城を構え戦に明け暮れていた群雄割拠の時代…各々が築く屈強なお城は戦の要となり最後の砦ともなりました。戦に敗れ絶体絶命のピンチを救ったとされるのが秘密の抜け穴です。この秘密の抜け穴を通り逃げ延びたという伝説が存在しています。極秘事項である為、真偽の程は謎のままで戦国ミステリーとしても知られています。

御土居下御側組同心とは、かつて尾張藩が置いた役職の一つで城門の警備や藩主の護衛の職務にあたっていました。しかし、実態は万が一名古屋城が落城した時に藩主の身を守り無事に逃がすという極秘の任務を与えられていました。実際は、戦火に巻き込まれることなく明治維新を迎え本来の任務を遂行する機会はありませんでした。

日本の美しいお城に秘められた怖い伝説とは!?

日本の名城 秘密の抜け穴伝説

日本の各地に点在する数々の名城、時には激しい戦場となり大名達の最後の砦として活躍してきたお城。そんなお城にはいざという時に逃げ出す事の出来る秘密の抜け穴が存在すると語り継がれています。日本の名城に隠された秘密の抜け穴伝説を紹介していきます。戦国ミステリー日本のお城に隠された秘密の抜け穴伝説に迫ります!

福知山城

福知山城は天正7年(1579年)に築上され、明治6年(1867年)に廃城となっています。主な城主は「明智光秀」「羽柴秀勝」江戸時代には福知山藩の居城でした。1965年、市の史跡に指定されました。2017年には「続日本100名城」(158番)に選定されたお城です。

豊磐井(とよいわのい)

「豊磐井」(とよいわのい)は福知山城天守の入り口前にある大型の井戸です。この豊磐井に秘密の抜け穴が存在すると言い伝えがあります。井戸の深さは50mもあり、城郭の本丸内にある湛水井としては日本一の深さを誇っています。水深は37mあり、現在も水が出ています。この秘密の抜け穴は、二の丸の北側にあった横穴に通じているとされています。第二次世界大戦前までは二の丸の北側に深い洞穴があり、奥がいきづまりになっていました。当時は氷室として使われていたと考えられています。

熊本城

熊本城は慶長12年(1607年)に築城され、1874年に廃城となります。明治時代、西南戦争にて熊本城は、西郷軍14000人の猛攻に耐えています。また、この戦いで武者返しが効果を発揮し、西郷軍は、誰一人として城内に侵入することができなかったといわれています。現在、宇土櫓を始めとする櫓・城門・塀が現存し、13棟(櫓11棟、門1棟、塀1棟)が国の重要文化財となっています。主な城主は「加藤清正」

昭君之間

熊本城にあるとされる伝説の秘密の抜け穴は、天守閣最上階にある「昭君之間」に存在するとされています。有事の際に脱出可能な秘密の抜け穴があったという伝説があります。秘密の抜け穴は防衛上の最機密である為、文献等の記録は一切残っていません。また、城を作った大工さん達は秘密の抜け穴を知ってしまった為に殺されたと伝えられています。

宇陀松山城

宇陀松山城は平成18年に国の史跡に指定されたお城で別名は秋山城や神楽岡城と呼ばれています。 築城年は不明、元和元年1610年に廃城。主な城主は「福島氏」や「秋山氏」

春日神社

宇陀松山城の天守閣から春日神社に続く抜け穴が存在するという伝説があります。春日神社は宇陀松山城のにあり、春日神社の手水舎の後ろの石垣に人工的に作られた穴があります。この穴が宇陀松山城の天守閣へと続く抜け穴として語り継がれています。現在は途中で埋まっています。

上田城

上田城は天正11年(1583年)に築城され明治7年(1874年)に廃城となっています。本丸跡には真田神社があり、上田合戦で「落ちなかった」城である事から、受験生の祈願にも多くの方が訪れる事でも知られています。主な城主は「真田氏」「松平氏」

真田の井戸

真田井戸は上田城本丸の南西にある大井戸で、城内唯一の井戸です。眞田神社の横にあり、井戸の大きさは直径2m、深さは16.5mあります。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山麓の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説があります。

大阪城

大阪城は天正11年(1583年)に築城され明治元年(1868年)に廃城となっています。豊臣秀吉の居城として知られています。関ヶ原の戦い以後、大阪夏の陣にて落城し豊臣氏は滅亡しています。江戸時代には3度の落雷により焼失しています。現在は大阪の象徴として立ち周囲には大阪城公園が整備されています。また日本三大名城の一つに数えられています。

一心寺

 一心寺に伝わる秘密の抜け穴伝説として「真田の抜け穴伝説」が残っています。真田幸村が秘密の抜け穴として使用した伝説が残る井戸があります。現在の井戸は蓋がしてあり中を確認する事は出来ません。この井戸が大阪城まで続くという秘密の抜け穴伝説が残っています。

三光神社

三光神社には真田の抜け穴伝説が存在します。真田信繁が秘密の抜け穴を作った伝説が残っています。この秘密の抜け穴は大阪城まで続くという伝説が残っています。現在も真田の抜け穴跡として存在しています。

江戸城

江戸城は別名千代田城とも呼ばれています。長禄元年(1457年)に築城されています。徳川家居城と知られ江戸幕府の始まりの地でもあります。日本の城では最大で最強の城となり、およそ300年間、徳川家15代続く政務を行う場所となりました。慶応4年(1868年)江戸城の無血開城が行われ「皇居」となり、その後は皇居、宮城(きゅうじょう)として使用されています。吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となり、天守閣・本丸・二ノ丸・三ノ丸の跡一帯は皇居東御苑として開放されています。また、国の特別史跡に指定されています。

皆中稲荷神社

皆中稲荷神社には秘密の抜け穴伝説があります。戦時中、皆中稲荷は空襲により焼けてしまいます。戦後、宮司さん空襲で焼けた本殿を再建建しようとした時、床下から井戸のような竪穴が発見されました。その竪穴は大人が立って歩くには十分な高さがあり、東に向かって延々と続いていたと云われています。この竪穴が江戸城へと続く秘密の抜け穴ではないか?と云われています。

さらに江戸城には3つの秘密の抜け穴伝説が語り継がれています。

  • 湯島天神 本丸の天守近くの井戸から湯島天神の社の下に抜けるとされている秘密の抜け穴が伝説として語り継がれています。
  • 牛込穴八幡 西の丸吹上北西部にあった稲荷の社から牛込穴八幡の社の下に抜けるとされている秘密の抜け穴伝説が語り継がれています。
  • 日枝神社 西の丸吹上西南部にあった井戸から赤坂溜池の社(日枝神社)の下に抜けるとさている秘密の抜け穴が伝説として語り継がれています。

伊賀上野城

伊賀上野城は天正13年(1585年)に築城され明治4年(1871年)に廃城となっています。日本一といわれてきた藤堂高虎の高さ約30mの石垣で知られています。主な城主は「藤堂高虎」「筒井定次」

忍び井戸

伊賀上野城に伝わる秘密の抜け穴伝説に「忍び井戸」があります。いざという時には上野城に籠城するとの密命を受け三年間の籠城に耐えるように天守に兵糧と水、塩とを無盡に確保する事が重要であるとし小天守内に井戸を掘りました。五十間の深井戸で、井戸側から横へ三カ所の隧道を穿って抜け穴としたとされています。秘密の抜け穴は長さ一里におよび、兵糧の搬入、外部との連絡、援軍を城内に引き入れる路でとして活用されていました。万が一、落城した場合は、この秘密の抜け穴を利用して脱出する事も可能でした。この「忍び井戸」は機密事項であり秘密を守る為、秘密の抜け穴の出口と小天守には厳重に警備されていたとされ、たとえ藩士といえども井戸を覗く事は許されなかったと云われています。

姫路城

姫路城は1993年にはユネスコの世界遺産に登録され日本を代表するお城の一つで「国宝五城」や「三名城」で知られています。別名「白鷺城」とも呼ばれています。太平洋戦争では2度の空襲被害にあいますが、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾であった為、幸運にも恵まれ奇跡的に焼失を免れています。現在は時代劇などの撮影が行われることも多くあり、姫路市の観光の肝となってるお城です。

お菊井戸

「お菊井戸」は怪談「播州皿屋敷」で知られる、あの井戸です。姫路城に残る伝説には「お菊井戸」に秘密の抜け穴があるとされています。昭和五十六年、東京12チャンネルが、アジア航空株式会社・株式会社島津製作所の協力を得て、レーザー光線を使用し、お菊井戸の内部を調査しました。結果、地上より六メートル下降した側壁に、東北に向かう径二メートルの空洞の所在が確認されました。秘密の抜け穴が存在する可能性が強まったと記録に残っています。しかし、この抜け穴は水抜の為に存在するものとして結論づけられたとされています。本当にそうなのでしょうか?秘密の抜け穴だとしたら…想像するだけでも楽しい事ですね。

名古屋城

名古屋城は慶弔14年(1609年)に築城され明治4年(1871年)に廃城となっています。別名「金鯱城」と呼ばれ、大阪城や熊本城と同じく「日本三名城」に数えられています。明治維新まで徳川御三家の一つ尾張徳川家17代の居城として知られるお城です。。大天守にの金鯱は、名古屋の象徴としても有名です。

大日堂

名古屋城に伝わる秘密の抜け穴伝説として大日堂があります。大日堂から、名古屋城に隠された地下道があるという伝説があります。名古屋城が万が一落城してした時の逃げ道として秘密の抜け穴が存在すると云われています。秘密の抜け穴の出口として、大仏が目印として建てられたという伝説が残っています。実際に大仏の台座の礎石は三つに分かれていて、その中央が嵌め石となっているのです。この下に秘密の抜け穴が存在するという伝説があります。

宇都宮城 (亀ヶ丘城)

宇都宮城は平安時代末期に築城され1868年に廃城となっています。歴代徳川将軍が日光東照宮参拝の際に宿泊施設として使用されたお城です。宇都宮城は戊辰戦争の際に焼失しています。現在は木造で復元され、宇都宮城址公園となっています。また、関東七名城の一つに数えられており、江戸時代には宇都宮藩の藩庁となったお城です。別名「亀ヶ岡城」

謎の抜け穴

宇都宮城にある秘密の抜け穴伝説については、陥没事故がきっかけとなり発覚。市内数ヵ所で陥没事故が発生し、同時に不審な抜け穴が発見されました。不審な抜け穴は元藩士の屋敷跡から発見されており、秘密の抜け穴ではないか?と噂されました。抜け穴は、横幅が1メートル、高さが1,5メートルほどの穴だと云われています。秘密の抜け穴は元和6年(1620年)に作られたと推測、城側の抜け穴は、二の丸奥御殿か、南に面した庭ではないかと語り継がれています。出口付近には、お堂などを先に建て、その後に縁の下に掘り下げ出口を分からなくしたと考えられています。実際に、この抜け穴の目的などは謎のままですが、秘密の抜け穴であってもおかしくないでしょう…。

仙台城 (青葉城)

仙台城は1601年に築城され1871年に廃城となっています。伊達政宗が築城し、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城で、仙台藩の政庁でした。数少ない大手門、脇櫓、巽門は第二次世界大戦時、仙台空襲により焼失しています。2006年に日本100名城に選定されています。別名「青葉城」

仙台城にも秘密の抜け穴伝説が残っています。大正9年に長雨により二之丸裏山に土砂崩れが発生し、謎のトンネルにが発見されています。入口に達磨仏が刻んであり、誰も中へ入る者がなかったと記されています。また、大正時代、キノコ取りに行き密林に迷い込み謎のフタ石がしてある竪穴を発見したと云われています。その竪穴は小石を投げると音がし、底は横穴に続いていたと云われています。秘密の抜け穴ではないかと噂されていました。

村上城

村上城は1500年代に築城され明治4年(1871年)に廃城となっています。歴代の村上藩主の居城でした。村上城は明治8年に解体・売却されています。売り払われたと見られる石垣の一部が現在、民家の庭石や塀の礎石として残っています。2017年に続日本100名城に選定されています。別名「舞鶴城」

村上城にも抜け穴伝説が残っています。地元で語りつがれている秘密の抜け穴が、抜け穴の出口とされる洞穴です。村上城跡からほど近い臥牛山北麓に存在しています。人工的に掘られた不自然な洞穴が2つ並んで存在しています。この不自然な洞穴が村上城へと続く秘密の抜け穴伝説として語り継がれています。現在は崩落で行き止まりとなっています。

【戦国ミステリー】日本のお城に隠された秘密の抜け穴伝説とは?まとめ

戦国ミステリーとして語りつがれるお城に隠された秘密の抜け穴伝説…。真偽の程は謎のままですが、実際に秘密の抜け穴を使い藩主を逃がすという任務を受けた、御土居下御側組同心も存在しています。戦国時代だからこそ秘密の抜け穴が実在してもおかしくないと思います。秘密の抜け穴伝説として語り継がれる秘密の抜け穴は未だひっそりと眠り続けているかもしれませんね。戦国ミステリーとして秘密の抜け穴伝説は語り継がれ数多くの謎を残したままです。日本のお城に隠された数々の秘密の抜け穴伝説…。お城を見学した際は秘密の抜け穴を探してみてはいかがでしょうか?秘密の抜け穴が見つかるかもしれませんね。

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