イタリア軍の伝説と検証!衝撃の事実とは?

愛すべきイタリア。

日本には持ち併せていない

気質を持ち、レディーファーストで

陽気なイタリア人。

そんなイタリアは

第二次世界大戦でも

伝説を残しています。

今回は陽気な

イタリア軍についてを調査しました。

イタリア軍の活躍、

そしてイタリア軍の伝説を紹介していき

イタリア軍の伝説の検証をしていきます。

果たしてイタリア軍の伝説は事実なのか?

気になる噂のイタリア軍伝説、

早速見ていきましょう!

イタリア

イタリアはユーロ圏では第3位の先進国です。

世界では第8位の経済大国となっています。

G7やG20の参加国であり、

文化的・経済的に極めて大きな影響を

及ぼす列強の一角に数えられています。

東には「紅の豚」のモデルとなったアドリア海があります。

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近代のイタリア

1861年に「イタリア王国」を樹立、

1866年に不平等条約で

日本と国交を樹立します。

1873年には「岩倉使節団」が

フィレンツェ、ローマ、ヴェネチアを

視察しています。

1922年にベニート・ムッソリーニが

首相となりファシズムによる

独裁体制を確立させます。

1937年、日独伊防供協定を結び、

1940年に第二次世界大戦参戦、

同年、日独伊三国同盟を締決します。

1945年にドイツの敗戦と

共にファシズムは崩壊します。

イタリア軍の戦力

イタリア軍の戦力について、

第二次世界大戦時の戦力はどの

程度だったのかを見ていきましょう!

工業力

イタリアは農業国家であった為、

大戦前後の自動車生産数は約37万台。

イギリス・フランスの自動車生産数は約250万台。

イタリアは

イギリス・フランスの15%程度であり、

工業力は大きく遅れをとっていました。

陸軍

陸軍の要である戦車は、

未だ第一次世界大戦直後に

生産されていた

豆戦車が主力装備として活躍、

野戦砲は重く

使い勝手の悪い旧式の

大型野戦砲のみ、

情報を知る為の無線配備は

僅かしか無い状態でした。

対戦車戦闘に

対抗して

P40重戦車を開発、

これによりシャーマンへの

対抗策ができると見込まれていた。

しかし、

陸軍の軍備計画は

空軍・海軍より遅く、

P40戦車の完成は

1942年にとなり

大戦終了までに

3,500両しか戦車を

配備できませんでした。

これは

ドイツ軍が一ヶ月間、

仏戦で投入した

戦車の数よりも少ない数でした。

更に

配備戦車に

P40戦車は

僅かにしか含まれておらず、

中戦車ですら

過半数に満たない状態でした。

結局のところ

軽戦車と豆戦車が

最後まで最前線で

戦い続けていました。

海軍

海軍は大艦巨砲主義に

基づき海軍の主力となる

航空母艦は

一隻もありませんでした。

空軍の主力戦闘機は

時代遅れとなっていた

複葉機CR-42を採用、

1760機の航空機で

まともに戦えるのは

約900機でした。

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イタリア軍の活躍

イタリア軍は微弱な戦備であったが、

歴史に残る活躍をしています。

そんな歴史に残るイタリア軍の活躍と

名将を紹介していきます。

ニコラエフカ包囲戦

イタリア軍の活躍の一つは

「ニコラエフカ包囲戦」

があります。

スターリングラードの戦いにて、

ソ連軍の反撃に

ドイツ軍と同盟軍が敗走する中、

ニコラエフカのイタリア軍部隊だけは

陣地を死守しました。

しかし、

イタリア軍部隊は

取り残された状態になってしまいます。

零下40℃の極寒の中、

師団長自ら先頭に立ち

銃剣突撃を行い

勇猛果敢に突破攻撃を敢行しました。

結果として

師団長をはじめ2個師団が

全滅するなど、

4万名のうち3万名もの

戦死者を出したが、

ドイツ軍部隊に

合流を果たす事に成功しました。

エル・アラメインの戦い

イタリア軍の活躍の一つ

「エル・アラメインの戦い」

があります。

ドイツ軍が

相次いで敗れていき敗走する中、

戦線南部の防衛を任されていた

イタリア軍のみが

まともに防衛戦闘を行っています。

この戦闘では

日本軍に負けず劣らずの

戦法で戦車旅団を撃破。

イタリア軍は

戦車旅団相手に

対戦者地雷や

シャベルを持ち肉弾戦法で

数多くの戦車を撃破しました。

フォルゴーレ空挺師団や

パヴィア歩兵師団の

活躍として知られ、

部隊は壊滅しましたが、

多くの戦車を撃破しました。

シチリアの戦い

イタリア軍の活躍の一つ

「シチリアの戦い」

があります。

「シチリアの戦い」では

圧倒的な力を持つ

強力な米軍相手に

イタリア軍の

歩兵師団が打撃を与え

大きな戦果を挙げています。

イタリア軍の名将

ジョヴァンニ・メッセ将軍

イタリア軍の名将「ジョヴァンニ・メッセ将軍」は

イタリア第8軍を指揮した名将です。

「ジョヴァンニ・メッセ将軍」は数少ない装甲部隊と

微弱な軍備でありながら、

ソ連軍を各所で撃破、

その戦果は

ドイツ軍からも

高い評価を得ていました。

1943年に降伏しますが、

降伏後に

正式に元帥に昇格しています。

そして、

降伏後は捕虜にはならず、

反ムッソリーニ側に付きます。

その功績から

自由イタリア軍の

総参謀長に着任し

連合軍に加わりイタリアに再上陸しています。

戦後は軍務には付かず、

退役軍人会の理事長や

イタリア上下両院の議員などを歴任しています。

ムッソリーニの最後

イタリアのファシスト独裁者として君臨した

「ベニート・ムッソリーニ」、

「ムッソリーニ」は「大戦がこのまま英国上陸で終結する」

という楽観主義に基づき、

軍備状態を加味しつつ参戦しました。

しかし、

戦争計画は全く用意していなかった。

この行動は

軍部にとって寝耳に水

とも言うべき行動だとされています。

実際、

約一ヶ月間でフランスを降伏に追い込む

歴史的圧勝を

予測をした者も多くいました。

しかし、

結果は予想に大きく反し

英軍は本土防衛に成功します。

更に

ドイツ軍のソ連侵攻という

予想だにしない行動で

戦局を拡大せざるをえなかった。

1945年、

ミラノからスイス国境に向け

逃走中に逮捕され、

愛人であった「クラーラ・ペタッチ」と共に

北イタリアの

ジュリーノ・ディ・メッツェグラという街で、

正式な裁判にかけられることなく、

パルチザンによって即時処刑されています。

アドルフ・ヒトラー自殺の2日前の出来事でした。

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イタリア軍の伝説検証

第二次世界大戦で驚きの行動をとったとされる

間抜けなイタリア軍の伝説を紹介していきます。

パスタで全滅!?

砂漠地帯でパスタを茹でる為に

大量の水を使用。

結果、

部隊は全滅。

実際はパスタを輸送したが砂漠では水が補給出来ないので食べられなかったという事のようです。

ワイン大好き!?

イタリア軍の

備蓄していた弾薬より

「ワイン」

のほうが多い。

計画性のない戦争であった為、事実のようです。

潜水艦ですが、なにか!?

潜水艦なのに

漁船に敗北。

事実であるが、その前に英軍駆逐艦と戦闘し被弾、有毒ガスが発生し船員達の体調不良が相次ぎ、武装したトロール船に遭遇し潜航不能になり浮上し砲撃戦の末、艦橋に被弾し艦長と士官が戦死した為、降伏したと云われています。

風になれ!戦闘機!?

風を感じれないという理由で

戦闘機の風防を撤去、

その結果

速力が低下した。

当時、速度計などの計器類が信頼できない物だった、実際に体で風を受けた方が速度が測れるという事に加え、粗悪なガラスで、視界が遮られるという理由から風防を外したというのが事実のようです。

戦車がまさかの!?

中東戦争で

戦車を盗まれる。

事実ですが、盗まれたのは英軍の戦車シャーマンです。

それ…寝る!?

「相手も眠いんだからこちらも寝て大丈夫」、

と言い見張りも立てずに寝てしまい

部隊ごと捕虜になった。

そんなアホな…しかし、戦争中にお祈りを捧げるムスリム兵士や、「ティータイムにつき砲撃不可能」と返答した英軍兵士は実在したそうです。

ロンメル将軍と参謀の会話!?

 
参謀
参謀「イタリア軍がきました!」
 
ロンメル
ロンメル「では一個師団で迎撃しろ」
 
参謀
参謀「…味方をしに来たんですよ」
 
ロンメル
ロンメル「では三個師団で護衛してやれ!」

イタリア軍の格言!?

イタリア海軍の将兵の勇敢さは、

乗っている船の排水量に反比例する

神のご加護!?

神の加護があるので教会に

火薬を置けば安全だと思っていたら、

教会の尖塔に

雷が落ちて爆発した。

事実、1796年8月18日にヴェネチア共和国のブレシアで起きた事件です。軍用に備蓄していた火薬を聖ナザロ教会に運び込み保管していました。しかし、教会に雷が落ちて大爆発を起こし、町が吹き飛ばされ3000人の死者を出したと云われています。

イタリア軍の伝説と検証!衝撃の事実とは?

イタリア軍は第二次大戦でネタにされ面白がられていますが、

実際は活躍してる戦闘も数多くありました。

教会での出来事については当時はよく行われている

行為であったとされており、

雷が鳴ると

鐘を鳴らすようにしていたそうです。

その為、

鐘を鳴らす人が落雷により

命を落とす事もあったようです。

イタリア軍の伝説は

面白くジョークについては

検証しておりません。面白いのでそのままです。

イタリア軍を知るといつの世も

独裁者が現れるのだと思いました。

そして、

間違った方向へ舵をとり

そのまま修正不能になってしまいます。

我が国も、

一歩間違えれば再び過ちを

繰り返す事になりかねません。

戦争という悲劇を

繰り返さない為にも

歴史を知る

という事は大事なのではないでしょうか?

世界に争いがない事を切に願います。

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