戦国時代…それは、弱肉強食…。熾烈を極めた過酷な時代。大軍勢に攻められ絶対絶命の窮地に立たされながらも劣勢からの大逆転を果たした歴史的な戦いがあります。それが日本三大奇襲作戦です。今回はそんな劣勢からの大逆転!日本三大奇襲作戦について簡単に紹介していきます。諸説ございますので日本三大奇襲と云われている4つを紹介しています。
桶狭間の戦い
日本三大奇襲の1つ云われているのは永録3年(1560年6月12日)に行われた「桶狭間の戦い」です。歴史的に有名な「桶狭間の戦い」織田信長と今川義元が戦い織田信長が劣勢ながらも勝利した戦いです。
織田信長VS今川義元
兵力
織田信長 約3500~4000
突撃した精鋭部隊2000
今川義元 約25000~45000
兵力の差は一目瞭然であり、織田信長は劣勢を強いられ負け戦になるだろうと誰もが思っていたはずです。
圧倒的な劣勢から奇襲作戦により劇的な歴史に残る勝利を収めた織田信長。いったいどんな奇襲作戦だったのか?奇襲作戦を簡単に紹介していきます。
先勝祈願 熱田神宮
奇襲作戦とは若干離れてしまいますが、織田信長は出陣の前に熱田神宮で先勝祈願したと云われています。神を味方につけたのも作戦のひとつかもしれませんね。また、熱田神宮は織田信長が今川義元を少数で打ち負かした事からパワースポットとして知られています。
捨て身の部隊
奇襲作戦として大きく成功したとされている、この捨て身の部隊は信長が善照寺砦に着くのを確認すると、中嶋砦から300余りの部隊で一斉に突撃し、今川義元の大軍を谷間に誘き寄せる事に成功しました。
天候が味方した
捨て身の部隊が誘き寄せに成功したのをみた織田信長は重臣達の反対を押しきり正面から突撃をしようとします。その時、雨が降り突撃を中止し中嶋砦へと避難、雨が降りやむと鉄砲隊が今川義元軍に一斉射撃します。
奇襲の結果は…
厳島の戦い
日本三大奇襲の1つと云われているのは天文24年(1555年10月16日)に行われた「厳島の戦い」です。
毛利元就VS陶晴賢
兵力
毛利元就 約4000~5000
陶晴賢 約20000~30000
兵力の差も大きくかけ離れた数字となっています。誰もが圧勝すると思った事でしょう。
日本三大奇襲の一つとされている「厳島の戦い」があります。この兵力の差を諸ともせず歴史に残る勝利を収めました。どんな作戦を用いたのでしょうか?「厳島の戦い」の作戦を簡単に紹介していきます。
デマを流し信じこませた
大軍勢を前に誰もが負け戦を覚悟したことでしょう。しかし、毛利元就はこの窮地を逆手にとり、今、厳島に攻め込まれたら勝ち目はないとデマをあちこちで流します。当時は毛利家を裏切る者やスパイもいたのでこのデマは直ぐに陶晴賢にも伝わりました。
村上水軍を味方につけた
村上水軍とは日本最大の海賊で海戦術に長けていた事で知られています。そんな海上戦闘最強と云われていた村上水軍を1日でいいから味方についてほしいと頼み味方につけていました。
暴風雨に出陣
厳島に陶軍誘い込むことに成功した毛利元就は、夜の闇に隠れて出陣するといった作戦でした。しかし、出陣しようとした時、暴風雨に見舞われます。この時、毛利元就は今日は吉日、風雨こそ天の加護と説き出陣します。そして、敵に気付かれないよう毛利元就の船だけ篝火を掲げ厳島を密かに包ヶ浦と上陸する事に成功しました。そして一気に奇襲します。
奇襲の結果は…
狭い厳島で大軍は突然の奇襲にパニックに陥り陶軍は大敗しました。劣勢からの大逆転となりました。
川越城の戦い
日本三大奇襲の1つとして、天文15年(1546年5月19日)に行われた「川越城の戦い」があります。「川越城夜襲」としても知られています。
北条氏康VS上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏
兵力
北条氏康 約8000~11000
上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏 約8000
日本三大奇襲の一つである「川越城の戦い」を制した北条氏康。圧倒的な大軍の前にどんな奇策を用いて勝利を収めたのでしょうか?歴史に残る戦いを簡単に紹介していきます。
偽りの降伏
約8万もの軍勢に取り囲まれてしまった北条氏康は、偽りの降伏状を再三に渡り送っています。これを弱腰と捕らえ連合軍は油断しきっていました。そして勝てると確信していた連合軍の士気は下がり軍規は乱れていました。しかし、この降伏状は偽りであり全て作戦の一つでした。
鎧を脱ぎ捨てた決死の夜襲
天文15年(1546年5月)数少ない兵を4個部隊に編成し、敵陣へと出陣していきます。この時、北条氏康は敵に夜襲を気付かれないようにする為、鎧兜を脱ぐように命じたと云われています。身軽になった事で迅速に動く事ができるメリットもあります。
奇襲の結果は…
一方で余裕の連合軍でしたが、士気は下がり軍規も乱れ緩みきっていました。そこへ北条氏康が奇襲をかけます。弱腰だと思い込み油断しきっていた連合軍はたちまちパニックに陥り総崩れとなり大敗する結果となり劣勢からの大逆転となりました。
一ノ谷の戦い
日本三大奇襲の一つ「一ノ谷の戦い」があります。1184年3月20日に行われた源平合戦です。「逆落とし」として知られている戦いです。
源義経・源範頼VS平知盛・平忠度 (源氏・平氏)
兵力
源氏軍 約60000
平家軍 約80000~100000
逆落とし
一ノ谷は断崖絶壁の山の上です。源義経はここを馬で降りれないかと考えます。すると鹿は冬場でも越えていくと聞き、鹿が通れるなら馬も越えれるはずと説き兵士達を鼓舞したと云われています。
奇襲の結果は…
僅かな兵を引き連れた源義経は一気に断崖絶壁をかけ降り平家軍の背後を突く奇襲作戦に成功します。その結果、平家軍の名だたる武将達が相次いで討死し敗走する結果となりました。
劣勢からの大逆転!日本三大奇襲作戦とは?まとめ
負け戦とわかっていても諦めず知恵を振り絞り劣勢からの大逆転を成し得た英雄達。この劣勢からの大逆転から、最後まで諦めない事を教えてくれている気がします。歴史上の事でかなり盛られている気がしますが…とにかく、諦めなければ運も味方してくれるかもしれません。何事にも諦めずチャレンジしてみてはいかかでしょうか?